ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
彼は大いなる事をされるかたで、測り知れない、 その不思議なみわざは数えがたい。
主よ、あなたのみわざは いかに大いなることでしょう。 あなたのもろもろの思いは、いとも深く、
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
全能者は―― われわれはこれを見いだすことができない。 彼は力と公義とにすぐれ、 正義に満ちて、これを曲げることはない。
それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
あなたの義は神の山のごとく、 あなたのさばきは大きな淵のようだ。 主よ、あなたは人と獣とを救われる。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。
雲と暗やみとはそのまわりにあり、 義と正とはそのみくらの基である。
あなたの大路は海の中にあり、 あなたの道は大水の中にあり、 あなたの足跡はたずねえなかった。
見よ、これらはただ彼の道の端にすぎない。 われわれが彼について聞く所は いかにかすかなささやきであろう。 しかし、その力のとどろきに至っては、 だれが悟ることができるか」。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
地に住む民はすべて無き者のように思われ、 天の衆群にも、 地に住む民にも、 彼はその意のままに事を行われる。 だれも彼の手をおさえて 「あなたは何をするのか」と言いうる者はない。
わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、 われらを思うみおもいとは多くて、 くらべうるものはない。 わたしはこれを語り述べようとしても 多くて数えることはできない。
彼が大いなる事をされることは測りがたく、 不思議な事をされることは数知れない。
どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、
すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
天の高さと地の深さと、 王たる者の心とは測ることができない。
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
われわれが彼に言うべき事をわれわれに教えよ、 われわれは暗くて、言葉をつらねることはできない。
あなたが『彼はわたしの言葉に 少しも答えられない』といって、 彼に向かって言い争うのは、どういうわけであるか。
あなたは神の会議にあずかったのか。 あなたは知恵を独占しているのか。
このような知識はあまりに不思議で、 わたしには思いも及びません。 これは高くて達することはできません。
主は大いなる神で、 大いにほめたたえらるべきです。 その大いなることは測り知ることができません。
事を隠すのは神の誉であり、 事を窮めるのは王の誉である。
物事の理は遠く、また、はなはだ深い。だれがこれを見いだすことができよう。
わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。
これもまた万軍の主から出ることである。 その計りごとは驚くべく、 その知恵はすぐれている。
あなたは知らなかったか、 あなたは聞かなかったか。 主はとこしえの神、地の果の創造者であって、 弱ることなく、また疲れることなく、 その知恵ははかりがたい。
そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。
しかしあなたはこれらの事をみ心に秘めおかれた。 この事があなたの心のうちにあった事を わたしは知っている。
彼はわたしのために定めた事をなし遂げられる。 そしてこのような事が多く彼の心にある。